大関和と滋養菓子

2026.04.28

参考:淡雪羹(AIで画像の一部を加工しています)

訪問看護のパイオニア

大関和(おおぜきちか・1858〜1932)は、日本の近代看護の発展に大きな足跡を残した人物です。下野国(栃木県)黒羽藩家老の家に生まれ、離婚をきっかけに上京し、英語を学ぶ中でキリスト教に触れたことから看護の道へ進みました。明治19年(1886)には桜井女学校(現・女子学院の前身)附属看護婦養成所の第1期生として入学し、翌年に受洗。同21年、看護婦の資格を得ました。その後は帝国大学医科大学附属第一医院(現・東京大学医学部附属病院)で看護婦長を務め、看護制度づくりや後進の育成に力を注ぎました。特に明治から昭和初期にかけて取り組んだ派出看護(訪問看護)は、今の在宅看護や介護の原点といわれています。

著作に登場する菓子

大関は著述にも力を入れ、『派出看護婦心得』(1899)、『実地看護法』(1908)を刊行しました。これらには病人向けの食べ物に関する記述があります。たとえば、『実地看護法』初版(1908)の「流動性の食物」の項目に「プリン」が登場します。これは、現在のカスタードプリンとは異なり、牛乳で煮た米やオートミールに砂糖を加えて焼いた、ライスプディングに近いものでした。同書の第3版(1910)では「食後の菓子」という項目が加わり、「馬鈴薯羊羹」(蒸して裏ごししたジャガイモに寒天をあわせ、一部を色づけし、紅白に仕立てた羊羹)、二層仕立ての道明寺羹、苺や蜜柑をつぶして泡立てた卵白にあわせ、寒天で固めたものなどが紹介されています。病人が楽しめるように栄養価だけでなく、見た目の色合いなども考えて、工夫をしたのでしょう。

滋養菓子

『派出看護婦心得』の第5版(1917)には「滋養菓子」が見えます。寒天を煮溶かし、砂糖を加えて水飴状になるまで煮て、卵白のメレンゲに注ぐ旨があり、これは淡雪羹の製法です。「淡雪羹」は、当時「衛生羹」とも呼ばれていました※。「衛生ボーロ」に名残があるように、「衛生」という言葉が注目されていたようで、白く清潔な印象と卵白の栄養価はその名にふさわしかったのでしょう。大関がなぜ「滋養菓子」としたのか理由は不明ですが、病人用介護食の意からこの名にしたのではないかと思います。
大関が卵を使った菓子を重視したのは、栄養面への関心に加え、上京後に初めて食べて感激したというパン・ペルデュ(フレンチトースト)が、強く印象に残っていたからかもしれません。卵と乳を使った料理は、当時、新しい滋養食として受け止められていたことも想像されます。

※「衛生羹」は、明治中頃より昭和後期頃まで製菓関係の用語として使われた。

*連載「歴史上の人物と和菓子」を元にした書籍 『和菓子を愛した人たち』(山川出版社、2017年)が刊行されております。そちらも是非ご一読くださいませ。

参考文献

大関和『派出看護婦心得』初版1899年、5版1917年
大関和『実地看護法』初版1908年、5版1899年
田中ひかる『明治のナイチンゲール 大関和物語』中央公論新社 2023年 
フォレストブックス編集室『和と旅する。 日本の近代看護の先駆者』いのちのことば社 2026年

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