森田たまと「あくまき」

参考 鹿児島の「あくまき」
灰汁(あく)の風味とプルプルとした食感が特徴で、きな粉を添えて食べる。
写真協力:鹿児島県南薩地域振興局
女性エッセイストのさきがけ
北海道札幌市生まれの森田たま(もりたたま・1894~1970)は、17歳で上京、作家の森田草平に師事し、随筆を書くようになります。戦後は、国際ペン大会に日本代表として出席したり、参議院議員を務めたりと、文化人として多方面で活躍を見せました。
美人と「あくまき」
随筆集『ふるさとの味』(1956)には、菓子に関する魅力的な逸話も多数収録されています。
たとえば、昭和29年(1954)の春、講演会に招かれてはじめて鹿児島を訪れたときのこと。「黒い瞳が眼のそとへはみ出すかと思ふほど、エキゾティックな美貌」の洋装の勝田夫人、「画の中からぬけ出してきたやうな」和装の岩元夫人という、地元の名士の美しい夫人2名に会食に招かれました。
郷土料理のトンコツやさつま汁、酒寿司に舌鼓を打っていると、岩元夫人が「これで食後のあくまきがあれば申分ないけれど、あくまきは五月のお節句につくるものだから」と言います。
「あくまき」は、漢字では「灰汁巻」と書く粽の一種で、鹿児島や宮崎など南九州の端午の節句に欠かせない餅菓子。木や竹を燃やした灰からとった灰汁(あく)に浸したもち米を竹皮に包み、灰汁汁で数時間煮込んで作ります※1。
この「あくまき」の語に思わず反応する、たま。それというのも、17、8年前、5月のホームパーティーの折、料理研究家の中江百合が持ってきてくれて以来、「病みつき」になった一品だったからです。その日のことは、女優を姉に持つ中江の「湖水のやうに澄んだ眼」の美しさとともに、楽しい思い出としてたまの心に強く残っていました。
しかし、長らく口にしていないと告げると、夫人は時期になったら送ると約束してくれるのでした。
帰京後、慌ただしい日々に、そのことをすっかり忘れていたところ、翌年の5月に「べつかふ(鼈甲)のやうにすきとほつたあくまき」が小包で届き、たまは「おいしさは天下に類がない」と感激します※2。
通常、思い出の品をあらためて口にすると感動は薄れるものですが、会食の場でのなにげない約束を忘れない夫人の真心が、その味を一段と魅力的なものに感じさせたのでしょう。「どういふまはりあはせであらうか、あくまきと私との縁には、いつも天下の美女が介在する。ふしぎである。」とユーモアある一文で締めくくられており、目の覚めるような美女たちと素朴な菓子との対比の妙が印象深い一篇です。
※1 灰汁で煮ることで、米が柔らかくなり、長期保存も可能になる。
※2 鹿児島を訪れた年の5月はヨーロッパへ出かけて不在のため、翌年に送ってもらうことを約束していた。
*連載「歴史上の人物と和菓子」を元にした書籍 『和菓子を愛した人たち』(山川出版社、2017年)が刊行されております。そちらも是非ご一読くださいませ。
参考文献
『ふるさとの味』 大日本雄弁会講談社 1956年
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