沼波瓊音と汁粉

参考:とらやのお汁粉
多彩な俳人
沼波瓊音(ぬなみけいおん・1877~1927)は愛知県名古屋市出身の俳人、国文学者です。本名を武夫といい、「瓊音」と号しました。「瓊」とは美しい玉を指し、「瓊音」(ぬなと)は玉が触れ合う音を意味する語で、非常に優美な号といえるでしょう。
現在ではあまり名を知られていませんが、大正時代には正岡子規と並び評されるほど俳壇で将来を嘱望された人物で、俳句にとどまらず、短歌や詩、小説に戯曲まで幅広い創作を行いました。また、国文学者としての顔も持ち、松尾芭蕉や小林一茶を研究し、長らく複数の大学などで教鞭をとりました。
とにかく汁粉が食べたい
若い頃から甘党だったようで、菓子に関する逸話も随筆に散見されますが、特に強い印象を受けるのは、大正4年(1915)の12月に詠まれた、次の13首の短歌です(ルビは適宜追加)。
銭無けど汁粉食ひたくてたまらねば食ひたしと云ひぬ図々しくも
一銭も無ければと云ひて云ひさして考へてゐる妻の顔かな
残る本また売払ひ我と子等と汁粉食ひに行く代(しろ)作らばや
などと云へどそれほどの本もあらざればまづあきらめて図書館へ行く
浅草区誌仲見世のくだり読み居ればまづ思ひ出づ汁粉のことを
夜の九時帰り来りて門あくればこはいかに匂ふ煮立つ小豆の
何を何して何しけるかは知らねども妻は汁粉をととのへにけり
床に入りてはらばひ居れば持ち来る大鍋一杯の汁粉持来る
三人の子等ばたばたと大鍋のあとに随(したが)ひて繰込み来る
我も子等も茶碗待つ間を汁粉鍋の湯気立つなかに騒ぎ立てたり
うちぢゆうがチヤブ台かこみ思ふ存分汁粉食ひたり汁粉食ひたり
父うちやんは貧乏といへど汁粉など斯(か)うして食へるぢや無いかとぞ云ふ
夜毎々々(よごとよごと)おそろしき事思ひしに今宵思はず汁粉食ひければ
まるで物語のような一連の連作※から、「汁粉」への並々ならぬ執着が臨場感をもって伝わってきます。あえて字余り字足らずにすることで、通常のリズムでは表現しきれない情念を演出したともいえるでしょう。
当時、瓊音は30代後半。経歴を見ると、雑誌『俳味』を主宰し、研究書を何冊も出版するなど、社会的成功をおさめているように思えますが、同月に詠まれた短歌は生活苦を題材にしたものが多く、実情としては、相当に苦しかったようです。そうした中、家族との団らんはひと時でも瓊音の心を慰めたことでしょう。小豆の煮える優しい香り、鍋を囲む子どもたちの無邪気な笑顔など、さまざまな情景が想像され、温かい汁粉が食べたくなります。
※ある主題について複数の歌を詠むことを連作形式と呼び、短歌の技法の一つ。
*連載「歴史上の人物と和菓子」を元にした書籍 『和菓子を愛した人たち』(山川出版社、2017年)が刊行されております。そちらも是非ご一読くださいませ。
参考文献
『瓊音全集』第4巻(和歌俳句篇) 出版社不明 刊年不明
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