折口信夫とおはぎ

2026.01.09

日本古代の魂に迫った文学博士

折口信夫(おりくちしのぶ・1887~1953)は、大阪府出身の民俗学者、国文学者で、歌人としては「釈迢空」(しゃくちょうくう)の名で知られています。
民俗学者柳田國男の薫陶を受け、民俗学の手法を国文学研究に取り入れるなど独自の学風を築きました。学問領域は神道学、国語学(日本語学)、芸能史にも及び、一連の業績や思想は「折口学」と称されます。
國學院大學や慶應義塾大学の教授を務め、著作には『口訳万葉集』や『古代研究』、歌集『海やまのあひだ』、小説『死者の書』などがあります。

自家製のすごろくに描かれた姿は……

信夫には7つ下の双子の兄弟がおり、彼らの作ったすごろくで遊ぶのが折口家の正月の恒例でした。このすごろくは前年にあったできごとを面白おかしく盛り込んだもので、例えば女中の義弟が医者を嫌がって泣きわめく絵や、やって来ては長々と話し込む議員の頭に、草が根を生やし花を咲かせる様子を描いた絵などがあったそうです。

ある年描かれていたのは、「信夫が餅箱いっぱいのおはぎを持っている」絵。東京から帰省している際※の話が元になっており、近所の餅菓子屋から「陳列棚においてあった箱ごと」購入してきたというから驚きです。東京での独身生活に慣れた信夫は何とも思わなかったものの、実家暮らしの弟たちにとっては男性が買い物をするのは恥ずかしいことだったらしく、二重の驚きを与えたようです。
餅菓子屋は「大国橋の北詰にあった」とあり、生家からは歩いて数分の、現在の大阪市浪速区元町あたりを指すと見てよいでしょう。おはぎの種類や数についての記述はありませんが、餅箱とは番重(食品を並べておく浅い箱)のことですから、中には数十個ものおはぎが入っていたと考えられます。

学風や対人関係などから、難解で気難しい人物といったイメージを持たれることの多い信夫ですが、この行動は意外にも茶目っ気を感じさせます。
弟たちがすごろくのマスに採用したのは、近所で目立つ買い物をしてきたという強烈なインパクトもさることながら、皆でたくさんのおはぎを味わったこと自体も心に残ったからに違いありません。

※信夫が東京に住んでいたのは、大学在学中の明治38~44年(1905~11)と、28歳で地元の中学校の教員を辞し再上京した大正3年(1914)以降。よって、このいずれかの年のできごとと考えられる。

*連載「歴史上の人物と和菓子」を元にした書籍 『和菓子を愛した人たち』(山川出版社、2017年)が刊行されております。そちらも是非ご一読くださいませ。

参考文献

中村浩『若き折口信夫』中央公論社 1972年
加藤守雄『折口信夫伝 -釈迢空の形成-』角川書店 1979年
『近代日本思想大系』第22巻 折口信夫集 筑摩書房 1975年

 

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