徳川綱吉と麻地飴

豪華な贈り物
5代将軍徳川綱吉(1646~1709)は江戸時代の中期、華麗な文化が花開き、菓子を含む食生活も豊かになった元禄期に在位した人物です。儒教や仏教を重んじ、護国寺や湯島聖堂を建立したほか、生類憐みの令では特に牛、馬、犬、鳥を過剰に保護する政策をとりました。
虎屋には元禄10年(1697)、綱吉に贈られたと考えられる菓子7種(麻地飴・南蛮飴・源氏かや他)の記録が残っています(『諸方御用之留』)。これらはすべて干菓子で、2段の桐箱に詰められ、京から江戸へと送られました。
その中から、今回は「麻地飴」(現在虎屋では「浅路飴」の表記)をご紹介します。この菓子は求肥(白玉粉を水で溶いて蒸し、砂糖、水飴を混ぜて練り上げたもの)の周囲に、炒った白胡麻をつけたもの。江戸時代にはよく作られており、胡麻が麻の実に似ていることから「麻地飴」と呼ぶようになったとも伝えられます。
普通「飴」というと、ドロップやのど飴などを連想しますので、求肥の菓子に「飴」とは少し違和感を覚えるかもしれません。しかし当時の飴とは、米飴など日本古来のものに加え、麻地飴のような求肥、さらに黄粉からつくる豆飴 (すはま) などを含めた総称でした。従って実は全く不思議なことではありません。
2002年5月に虎屋ギャラリーにて開催した『殿様と和菓子』展でも綱吉を紹介しました。動物を異常に大切にするあまり、民衆に負担を強いた恐いイメージの先行する綱吉が大の菓子好きだったとしたら、意外性があって面白いところですね。
※この連載を元にした書籍 『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・1,800円+税)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)
著作権について
虎屋のウェブサイト上に掲載しております内容(上記の記事内の文章を含みます)に関する著作権その他の権利は虎屋が有しており、無断に複製等行いますと著作権法違反等になります。当ウェブサイトに関する著作権等については、以下のページをご覧下さい。













