渋沢栄一と金魚の菓子
近代産業の生みの親
渋沢栄一(しぶさわえいいち・1840~1931)は近代日本を代表する実業家です。第一国立銀行(現みずほ銀行)を設立、また東京海上火災保険、東京ガス、清水建設、王子製紙、新日本製鉄やサッポロビールに帝国ホテルをはじめ日本の代表的な企業を創設しています。また東京証券取引所や東京商工会議所の設立にもかかわりました。
栄一の生涯
渋沢栄一は、現在の埼玉県深谷市に豪農の長男として生まれました。若くして一橋慶喜に仕え、慶応3年(1867)にはヨーロッパに渡り、近代的な技術や経済について見聞を広めました。 維新後は大蔵省に出仕し、明治6年(1873)の辞職後は、まさに日本経済の発展に尽くしています。しかし、多くの企業にかかわりながら、三菱や三井をはじめとする財閥のように、巨大な財産を成していません。彼の生き方は、いわば日本経済のプロデューサーに徹したものといえます。
金魚の菓子
明治37年(1904)6月9日、肺炎から一時危篤になった栄一に、明治天皇は見舞いの菓子を賜っています。孫の敬三(後の日銀総裁・大蔵大臣)の回想によれば、「四角な寒天のなかに羊羹でできた赤い金魚が二匹浮かんで」いる美しい菓子ということでした(佐野眞一『渋沢家三代』)。
どこの店で作られたものかは不明ですが、どのような菓子であったかは虎屋の「若葉蔭」や「蟬の小川」が参考になるかもしれません。いずれも、琥珀羹(寒天を煮溶かして白双糖、水飴を加え固めたもの)に金魚を浮かべています。こうした菓子は、病床の栄一にとって、涼やかで口あたりも良いものだったことでしょう。
ちなみに、虎屋には渋沢家からのご注文記録が残されています。たとえば大正2年(1913)には、9回にわたってご注文をいただいており、「夜の梅」や「塩の山」あるいは「羊羹粽」などをお納めしています。なかには餡なしとご指定の「椿餅」もありました。渋沢家の方々のお好みだったのでしょうか、興味深いところです。
※この連載を元にした書籍 『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・1,800円+税)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)
参考文献
『渋沢家三代』文藝春秋 1998年
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