徳田秋声と故郷の菓子

自然主義文学の大家
徳田秋声(とくだしゅうせい・1871~1943)は、明治4年、金沢生まれの作家です。小説で身を立てたいと20歳で上京し、紆余曲折を経て24歳で尾崎紅葉門下に入ります。名前が売れたのは30歳近くなってからのことですが、以降「黴」「あらくれ」「縮図」ほか、庶民の生活を写実的に描いた様々な作品を発表し、自然主義文学の大家といわれるまでになりました。
郷里金沢への思い
泉鏡花・室生犀星とともに金沢の三文豪にも数えられる秋声ですが、零落した士族の家に生まれ、幼少期は生活が貧しかったこともあり、故郷は必ずしもよい思い出と結びつくものではありませんでした。「郷里を愛する心に乏しかつた」(「田舎の春-金沢の風土―」)と自ら書いていますが、そんな心境にあっても、金沢の料理や菓子に対しては愛着があったようで、
金沢は、田舎としては、東京を措いたらあんなにいい菓子の出来るところはあるまい。夏は夏の菓子、春は春の菓子、といふ風に、季節々々に菓子が変つて、冬には秋の菓子はないといふやうな、菓子には非常に贅つたところだ。(「現代十作家の生活振り」)
と素直に褒めています。具体的な菓子の名前はなく残念ですが、季節感という和菓子の重要な要素を捉えた文章です。
ここでは東京にも一目置いているように読めますが、10年ほど後の「思い出るまゝ」では、地元や一時期住んでいた大阪などと比べて、東京の料理は手をかけず味が乏しいと語り、「菓子なども東京の人は砂糖を其の儘、色んな形に小細工して食べさせる」と続けています。形はきれいでも味はいま一つ、甘いだけ、というような書きぶりです。先の「東京を措いたら」が謙遜だったのか、はたまた10年で印象が変化したものかはわかりませんが、金沢といえば茶の湯が盛んで、現在でも、落雁などをはじめとする繊細な味わいの菓子が多い土地なので、東京では何かもの足りなさを感じることもあったのかもしれません。
季節にあった菓子を楽しむ心や、菓子の味わいを語る文章に、菓子処・金沢で育った人間だという誇りが、自然とにじみ出ているように思われます。
※この連載を元にした書籍 『和菓子を愛した人たち』山川出版社・1,800円(+税)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)
参考文献
菊池寛記念館コレクション展「寛のグルメ~新収蔵原稿「蠣フライ」を中心に~」館内配布資料PDF
http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kurashi/kosodate/bunka/kikuchikan/collection.files/kansgourmetdata.pdf
「現代十作家の生活振り」(『文章倶楽部』大正14年1月号、新潮社)
徳田秋声「田舎の春-金沢の風土―」(『石川近代文学全集2 徳田秋声』石川近代文学館 1991年)
徳田秋声『思い出るまゝ』文学社 1936年
著作権について
虎屋のウェブサイト上に掲載しております内容(上記の記事内の文章を含みます)に関する著作権その他の権利は虎屋が有しており、無断に複製等行いますと著作権法違反等になります。当ウェブサイトに関する著作権等については、以下のページをご覧下さい。













