中村仲蔵(三代目)と小倉鹿の子餅

名優の自叙伝『手前味噌』
三代目中村仲蔵(なかむらなかぞう・1809~86)は幕末から明治時代初期にかけて活躍した歌舞伎役者で、門閥の外から身をおこし幹部にまでのぼりつめました。写実的な演技に優れ、役柄は敵役と老け役が多く、最も活躍したのは、晩年期といわれています。 安政2年(1855)より、舞台の合間に楽屋にて書きはじめたものが、自叙伝『手前味噌(てまえみそ)』です。出生、そして10才の初舞台から36年を超える舞台記録を振り返り、晩年まで書き続けました。また、江戸から大坂までよく興行に出ていたため、道中で見聞した出来事や、名物菓子の記述が多いのも興味深いものです。今回は、同書にある幼少期の菓子に関するエピソードについてご紹介します。
菓子の思い出
文政2年(1819)秋、仲蔵11才の時※1。とにかく芝居好きでこの日も稽古をする部屋に一番先に入り、隅に座って見ていました。仲蔵を見つけた三代目坂東三津五郎は「ここへ来い」「サア褒美を遣(や)らう」と、茶菓子に出ていた「大坂虎屋の小倉鹿の子餅」(求肥や餡などを芯にして蜜煮した小豆をつけたもの)を懐紙に挟み、ひとつ渡します。呼ばれていない稽古にも顔を出す熱心さに感心した故のことです。仲蔵がお礼を述べ受け取ると、傍にいた、後の二代目中村芝翫※2も「よう本読み(台詞を合わせる稽古)を聞いて居た褒美におれも遣らう」と、もうひとつ。
2人は、ふたつともすぐに口に入れろと迫り、仲蔵の口に菓子を押し込みます。大きめな口が特徴で「鰐口(わにぐち)」とよばれていたことからの戯れですが、小倉鹿の子餅は「茶呑茶碗ほどな大きな物」であったため、口の中で「ムグムグ」となってしまいます。ほどなく解放され、落ち着いて味わうのですが、今から見ると少し意地悪に思えます。ただ仲蔵本人は、先輩俳優の愛情を感じていたようで、「誰にでも可愛がられて、家に居るより芝居に居るほうが面白かりし」と述べています。
最初はびっくりして何がなんだかわからなかったでしょうが、だんだんと小倉鹿の子餅の美味しさを感じることができたのでしょう。幼い仲蔵の嬉しそうな姿が目に浮かぶようです。
※1 この時は鶴蔵。その後、慶応元年(1865)58才で三代目中村仲蔵を襲名。
※2 この時は鶴助。文政8年(1825)二代目中村芝翫となり、天保7年(1836)四代目中村歌右衛門を襲名。
※この連載を元にした書籍 『和菓子を愛した人たち』山川出版社・1,800円(+税)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)
参考文献
三代目中村仲蔵著 郡司正勝校註『手前味噌』青蛙房 1969年
赤坂治績著『江戸歌舞伎役者の<食乱>日記』新潮社 2011年
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